「あの席は○○さんの席だから」。
金曜の21時。新規のお客さんが入ってきた。空いている奥のボックス席を見つけて「あそこがいいんですけど」と言う。黒服が一瞬ためらって、こう返す。「申し訳ございません、あちらはご予約のお客様のお席でして……」
予約は入っていない。でもその席には毎週金曜に来る常連がいる。23時頃にふらっと現れて、いつもあの席に座る。来ないかもしれない。でも来たときに座れないと機嫌が悪くなる。だから空けておく。
新規のお客さんは、少し狭いカウンター横の席に案内される。
この瞬間、店は選択をしている。「まだ来ていない常連」のために、「今ここにいる新規」を後回しにするという選択を。
生態学に「クローズドコミュニティ」という概念がある
ある森に新しい種の植物が入ろうとしても、既存の植物が日光・水・土壌の栄養を全て占有していると、入り込めない。森は見た目には豊かだ。でも新しい種が入ってこない森は、環境の変化に対して極端に弱くなる。病気が一つ流行しただけで、似た種ばかりの森は一気に枯れる。
外から見ると「うまくいっている生態系」に見える。中から見ても「バランスが取れている」と思っている。でも実際には、多様性を失った時点でゆっくりと死に向かっている。
キャバクラでも同じことが起きている。
常連が固まっている店は、一見すると安定している。毎週来てくれる顔なじみ。売上も読みやすい。キャストも「いつものお客さん」と楽だ。新人のキャストにも「○○さんが来たらこうして」と教えやすい。
でも、新規のお客さんがその店に入ったとき、何を感じるだろう。
キャストと常連が内輪のノリで盛り上がっている。自分だけが知らない話題。黒服がそっちのテーブルばかり気にしている。なんとなく「自分はここのメンバーじゃない」という空気。
一回来て、もう来ない。そのお客さんが何を感じたか、店側は知らない。来なかった理由を聞く機会はないからだ。
常連が店を「守っている」という幻想
「うちは常連さんに支えられてる」。
これ自体は事実だと思う。毎週来てくれるお客さんがいなかったら、平日の売上は壊滅する。ありがたい。それは間違いない。
でも「支えている」がいつの間にか「仕切っている」に変わっていることがある。
たとえば、こういう場面。
新しいキャストが入ってきた。常連が「あの子はうちの店に合わないね」と言う。別に何があったわけじゃない。ただ、自分の好みじゃなかっただけだ。でもオーナーはそれを聞いて「うーん、確かに」と思ってしまう。常連の言葉は重い。お金を落としてくれている人の意見だから。
メニューを変えようとする。常連が「前の方がよかった」と言う。内装を変えようとする。「あのままがいい」と言われる。営業時間を変えたい。「困る」と言われる。
常連が店を「守っている」つもりで、実は店の可能性を狭めている。そしてオーナー自身も、常連の顔色をうかがうことが「大事にしている」ことだと思い込んでいる。
これは常連が悪いのではない。店がその構造を許しているだけだ。
「あの人は常連だから」——この一言で、どれだけのことを諦めてきただろう。新しいメニュー。新しいイベント。新しい客層。新しいキャストの育て方。
「初回がいちばん良かった」と言われる店
面白い話がある。
ある店のオーナーが、来なくなったお客さんに連絡を取って理由を聞いた。一番多かった答えが「最初に来たときが一番楽しかった」だった。
初回は丁寧に迎えてくれた。キャストも気を使ってくれた。黒服もこまめに声をかけてくれた。でも2回目、3回目と通ううちに、自分は「常連未満」の扱いになった。キャストの目線は本指名の卓に向いていて、こっちはヘルプが回ってくるのを待つだけ。来店の感動がどんどん薄まっていった。
逆に「初回も良かったし、通うほどもっと良くなった」と言うお客さんが多い店もある。
この2つの違いはどこにあるのか。
前者は「常連になるほど得をする」設計になっている。でもそれは裏を返すと「常連じゃないと損をする」設計だ。初回の体験にそこまでエネルギーを割かない。どうせ常連になれば良くなるから——という意識が、無自覚に出ている。
後者は「毎回の来店がフラットに良い」設計になっている。常連だから特別扱いされるのではなく、誰が来てもちゃんと楽しい。その上で、通っている人には「あ、今日○○さん飲んでるの見たことないやつにしてみます?」みたいな、知っているからこそできる提案がある。特権ではなく、関係性の深まりとしてのプラスアルファ。
初めてのキャバクラに不安を感じる人が多い理由で書いたが、初めて来るお客さんの不安は情報不足から来るのではない。「自分みたいな人が行っても大丈夫か」がわからないから不安なのだ。その不安を感じているお客さんが、店に入った瞬間に「常連の空間」を見せつけられたら、もう二度目はない。
「常連」の意味がずれている
ここまで読んで、「じゃあ常連を大事にするなってこと?」と思うかもしれない。全然違う。
問題は「常連を大事にすること」ではなく、「常連」という言葉に変な意味がくっついてしまっていることだ。
多くの店で「常連」は、こういう意味で使われている。
- 何を言っても許される人
- 席やキャストの優先権がある人
- 店の方針に口を出せる人
- 新しいお客さんより優先される人
でも本来、「常連」は単に「よく来てくれるお客さん」のはずだ。それ以上でもそれ以下でもない。感謝の対象であって、特権階級ではない。
「あの人は常連だから(多少のことは目をつぶろう)」。「あの人は常連だから(いい席を空けておこう)」。「あの人は常連だから(新人じゃなくてベテランをつけよう)」。
カッコの中身が問題だ。常連という事実に、特権がセットでついてきている。
「客を選ぶ店」が結局いちばん長く続くで書いたが、お客さんを大事にすることと、お客さんに特権を与えることは全く別の話だ。常連だからといって他のお客さんの体験を犠牲にしていいわけがない。
じゃあどうすればいいのか
正直に言うと、明快な答えは持っていない。
「常連も新規も平等に」と口で言うのは簡単だけど、実際に毎週来てくれる人と初めて来た人を完全に同じに扱うのは不自然だ。常連だから名前を覚えている、好みを知っている、それ自体は素晴らしいことで、なくす必要はない。
ただ、いくつか考えていることはある。
「新規の体験」を常連が見ている。 実は常連こそ、新しいお客さんが来たときの店の対応を見ている。初めてのお客さんにちゃんと気を使っている店は、常連にとっても「いい店だな」と思える。逆に、新規を雑に扱う店は、常連にも「自分も最初はこんな扱いだったのかも」と思わせてしまう。
新規が来る店は、常連にとっても面白い。 いつも同じメンバー、同じ話題、同じ空気。それはそれで居心地がいいけど、ちょっと飽きる。新しいお客さんが来て、新しい空気が入ってくる方が、常連にとっても刺激になる。閉じたコミュニティは安心だけど、開いたコミュニティの方が長く楽しめる。
「常連」という言葉を使うとき、一回立ち止まる。 「常連だから○○」と言いかけたとき、○○の部分が「特権」になっていないか考える。「常連だから好みを覚えている」はいい。「常連だからあの席を空けておく」は、本当にそれでいいのか。
「お客さんが人につく業界の危うさ」では「人」への依存を書いた。今回の話は「常連」という概念への依存だ。構造は似ている。特定の何かに寄りかかりすぎると、それが崩れたときに何も残らない。
常連は店の財産だ。間違いない。
でも「常連がいる店」と「常連しかいない店」は全然違う。前者は豊かで、後者は脆い。
あなたの店の「常連」という言葉に、どんな意味がくっついているか。一度、考えてみてほしい。
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